fulura’s blog

毎日のたわいもない記録。現在、大学生。

8割の自分

あの一年は、もう戻りたくないし、一瞬ですら通り過ぎたくもない。

私にとってトラウマな期間だった。

 

でも、今はその悲しみや憎しみの総量を

軽く超える暖かい日々を過ごしている。

だからといって決してその辛かった日々が消えるわけではない。

ただ、それを抱えたままでもいいと思えるくらいに、手放したくない今を過ごせていることに感謝が尽きない。人生も捨てたもんじゃないらしい。

 

今週はすごく素敵な週末を過ごすことができた。

なんでもない日々の営みの延長だったけれど、

これを幸せって言うんだろうなって思った瞬間を毎秒シャッターで切り取ったような

純度100%のいい時間だった。

人はあまりにも素敵な時間を過ごすと、

「いい」という普段は淡白に思えてしまう一言に

全ての気持ちを込めるようになるってことを

今、実感した。

 

日々を目まぐるしく過ごし、

スケジュールに余白ができることに

焦りを感じる私は

ひとりではリラックスする方法がわからなかった。

なにもしない時間が生み出すものを

歳を重ねるにつれ、信じられなくなっていた。

けれど、今私が大切にしている人は

私ではしない、いやできない有給の使い方で

私をびっくりさせる。

なんの生産性があるの?

ともったいないとすら思ってしまった。

きっと、私は休みに生産性という言葉を使ってしまうこと自体の危うさを知るべきなのだろう。

ん〜大丈夫かな?と人の休みのことなのに

そわそわしてしまった私のことなどつゆ知らず

彼は大いに有給をフル活用したらしい。

その有給の使い方を聞いて、

実際に過ごした様子を聞いて、

彼にとって本当に必要だったんだな〜とわかった。

何ももったいなくなんてなかった。

 

私ももう少し自分を許して

自分に甘くなってもいいのかもしれないと感じた。

タスクが重なっている今、

普段なら上手に息抜きをすることができず

精神的、体力的に自分でも自覚のない

不調期を過ごすところだが、

最近は何もない日を意識的に作ることで

エンストすることなく

8割の自分を安定して過ごせているような気がする。

 

私の大切な人が私の中に余裕をくれて、

リラックスした状態で過ごせたからこその

味わい方になったんだと思う。