fulura’s blog

毎日のたわいもない記録。現在、大学生。

春日和

私の好きな季節が来たーーー!!!

上着なくても暖かくて

ちょっと風が吹いてるこの気候。

そして別れと出会いの季節。

新しいことを始めるのに躊躇がいらない時期。

ワクワクが溢れ出すのは春かもな〜と

今年に入って春好きになった。

気のせいか心も前向きにオープンになる。

外を目的もなく歩いてみたくなる。

アイスの消費が激しいのは

実は夏よりも溶ける心配が少ない

春なのではないかとか考える。

唯一、花粉だけは蚊と同じで鬱陶しいけれど

一周回って愛おしいとも思わせてしまう

春の底力ってすごい。

 

友達の中には

春は何か始めなきゃいけない気がするから

ソワソワするという人もいて

その気持ちもわかる。

一方で、それが楽しいのではないか!

と思う自分もいる。

今年はどんな自分に会えるだろう。

どんな出会いを掴めるだろう。

何を始めよう。

私の頭の中も

イデアが膨らんでは行方のわからぬ先へ

舞っていく桜の花びらのようだ。

そう、春はよくわからない文章も

書き記したくなる愉快な時なのだ。

私からすれば年度の切り替わりが

年越し並みに心を入れ替えられる

タイミングでもある。

2024春。まずはGPA3.0以上確保。

なんてったって学生なのだ。

学ぶ学ぶぞ。

1番やる気あるはずの大学1年生の春学期が

1番GPA低い理由が今日分かった気がする。

春は遊びに出かけたくなる時期だった。

 

言葉を届けるということが好きなんだ

私はフィンランドに行って

自己を見つめ直す時間を

無意識的に取れたと帰国して思う。

きっとフィンランドに流れている空気が

そうさせてくれたのだと思っている。

 

今、研修のまとめとしてレポートを

書いているのだが途中途中で

ぽっと頭に浮かんでくる言葉が

たくさんあって、ここに残したくて、

何度も中断している。

 

今浮かんだことがタイトルにもした

「言葉を届けるということが好き」

というものだ。

 

届けるというと少し違うかもしれないと

精査していて思うが、

もう少し正確に言うと

どの言葉が1番自分の気持ちを

ストレートに含みなく伝えられるかを

考えることが好きなのだと思う。

 

数式がばっちり当てはまって

ピンポイントの正解に

辿り着けたときの爽快感と似ている。

これだ!という単語を当てはめられたときは

嬉しくて、より言語化が進む。

 

同時進行で書き上げているレポートも

堅苦しい言葉にすると

先が進まなくなると感じて、

今は一度、日記のように

もはやメモのように

頭の中の情報と、得た感情を

ぶわーとひとつも漏らさないよう

絞り出してみている。

それを1人校閲する時間さえも

楽しみに思えてくるから言葉って

奥が深い。

 

1人時間を楽しめるものができて

みなさんに共有することもできて

改めてfulura's blog始めてよかったな~

と思います!

 

それでは今宵もよい夜をお過ごしください。

 

fulura

 

世界は狭いがフィンランドは広い

私がフィンランドに行って感じたことをもとに

こんな仮説を立ててみた。

「人口密度が低い国ほど幸福度は高いのではないか」

という仮説だ。

 

どういうことかと言うと、

フィンランドの面積は日本とほぼ同じ。

しかしフィンランドの人口は約555万人と

日本の約20分の1。

よって人口密度も日本の20分の1。

つまり、1人あたりの面積が

日本の20倍あるのがフィンランドだ。

人口密度が低い国ほど、

流れる時間がゆったりと感じられて

幸福度も上がるのではないかと

あくまで私の私見だけで述べているまでだが、

シェアしてみる。

 

フィンランドの街に出るとわかるが、

道が広い。

歩道も横に4.5人が並んで歩けるスペースが

取られており、

避けなければならないというストレスを

感じる場面が無かった。

一方で、建物の間隔やレストラン内の席の間隔は

日本とあまり変わらないように感じたが、

どの店も待たずに入れた。

東京では当たり前の長蛇の列は

フィンランドで見なかった。

繁盛していないと言う意味ではなく、

ちょうど満席一歩手前ぐらいの組数で

店が埋まっていることがほとんどだった。

 

パーソナルスペースをしっかり確保することを

尊重するような空気感がどこの場所にも

流れていたように思う。

 

日本に帰ってきて、

(日本といっても田舎なのだが)

まずは電信柱・電線が目につく。

フィンランドでは路面バス用のワイヤーのみ

外に出ていて、あとは地下に電線を

埋めているため静観した風景が広がっている。

その分、目から入る情報がクリアになり

自然や建物に感性を委ねることが

できたのだろうと感じる。

街自体がレンガを基調とした北欧デザインで

溢れているためどこを見ても絵になる

というアート的背景も関係しているのかもしれない。

 

最後に「世界は狭い」について

語弊がないように

ただ偽りもないように

率直な感想を残したい。

今まで世間は狭いねと言う言葉が

どうしても好きになれなかった。

どこに行っても

誰かが知っている誰かと繋がっていて

新しいスタートを切る足枷になるように

感じてしまう部分があったからだ。

これは私は私のことを誰も知らない環境で

新しいことをスタートしてみたいという野望が

あったからだと思う。

世間は狭いねじゃなくて、

みんな繋がってるんだねって

言って欲しいと思うエゴがある。

けれど今回、フィンランドに行ってみて、

「世界」は狭いなと思った。

今まで海外に行ったこともなければ

飛行機に乗ったこともない、

日本の北海道・沖縄にも行ったことがない

私にとって

世界というのは未知で、広くて、

わからないからこそ無責任に

希望を描ける場所だった。

しかし、実際は13時間も飛行機に乗れば

辿り着ける実在する国だし、

同じ人間が住む場所だった。

もちろん文化も違えば言語も違う

たくさんの刺激を受けた

ユートピアのような場であったことに

異論はない。

ただ、同じ平面上にある地でもあるのだ。

必ず繋がっている。

必ず私の言動は小さいながらも波紋を呼び、

その波紋を受けた人が新たな波紋を作り、

地球の反対側にも微々たるものながら届く。

そのサイクルを以前より現実的に

考えられるようになった。

そして「世界は狭い」ましてや「世間は狭い」

を肯定的に受け取れるようにもなった。

今までの否定的な見方から

気持ち的に手が届く範囲だからこそ、

距離としては離れていても

必ず自分の言動は世界を

良い方向にも望まない方向にも

変えられる力があることを認識した。

 

だから今、伝えたいことがある。

日本の一学生が

小さなコミュニティでおおそれたことを

と笑われてしまうかもしれないが、

必ず伝わるし、必ずいつかの誰かの心を支える。

そう信じて伝える。

 

戦争よ無くなれ。

戦争は時代を超える悲しみと、歴史の停滞しか

生まない。

世の中をLOVEで回す。

 

Go to Finland.

日本時間2024/02/05-2024/02/11

私は大学の北欧研修というプログラムで

フィンランドを訪れた。

フィンランドといえば福祉大国。

社会福祉を学んでいる私にとっては

かけがえのない機会で

初の海外、初のフライトでもあった。

 

実際に行ってみて実感したことは多くあるが、

まず人が優しい。

日本人も、世界では、

親切だ誠実だと言ってもらえることが多いが、

フィンランド人も優しく愛想が良く

自律している姿がとても印象的だった。

道端ですれ違う時、

目があった時、

「Hi!」と微笑んでくれる。

人と心を交わすのに多くの言葉はいらない

の本質を知れた。

そしてフィンランドで何度も聞いた言葉、

それは「Kiitos!」

日本語で「ありがとう」という意味の言葉だ。

日々多くのことに感謝し、

WELL-BEINGを大切にするフィンランド

感性に心が暖かくなる毎日だった。

 

また行こうではなくて

「また帰って来よう」と思わせられる、

フィンランドはそういう人間味のある国だと

羽田空港から家までの道を帰っている今、思う。

 

Disneyの閉園間際に感じる名残惜しさを

国という規模で感じられることに

感謝せずにはいられない。

 

教育も充実しているため、

多くのフィンランド人がフィンランド語と

英語の2言語を話せる。

何はスウェーデン語も話せるトリリンガル

珍しくない。

 

フィンランドに帰る時は、

Hi, Moi, Kiitos, Excuse me, this, please,

の他にも気持ちを表す言葉を使えるように

フィンランドのことをたくさん学ぼうと思った。

 

時間以上の経験を得れた北欧研修を経て

地位でも、成績でも、富でもなく

「毎日を笑顔で生き生きと過ごせる」

それが人としての1番の幸せだと

今は何の疑いもなく言いきれる。

 

靴べらは必要

2024/01/21 King Gnu

THE GREATEST UNKNOWN 

バンテリンドーム2日目参戦👑

 

昨年の日産ドームから1年も経たずに

またKing GnuのLIVEに来ることが叶った。

前回と同じで妹と2人。

今回は名古屋なので、夜行バスで

初の2人旅をしながらLIVEへ。

 

グッズは整理番号的には

LIVEが開演してからじゃないと

買えないかなと思っていたけれど、

なんとか開演前、そしてスペシャル映像上映前に

購入することができた。

それでも、

欲しかったキーホルダー、タオルは目の前で

SOLD OUT。

ステッカーと、ロンTをゲットできたので良し!

キーホルダーとタオルに間に合わなかったのは、

「日頃の徳の積み方だ」と妹に言われたので、

これからは横断歩道を渡る!

ゴミを拾う!

ペットボトルはペットボトルのゴミ箱へ!

何事にも感謝する!

を徹底していこうと約束した。

 

そして、LIVE。

あっという間の2時間すぎて、

未だ余韻まで辿り着けていない。

あれ?本当に行った?井口さんが○○だったり、常田さんが○○したり、せきゆーが○○だったり、新井さんが○○だったあの空間って現実?

あれそう?

とにかくKing Gnuがもっともっと好きになった。

1人1人の個性と才能がハイレベル。

MCの雰囲気もKing Gnu独特で唯一無二。

まだLIVEは続くので、

言葉にするのはここまでにします。

 

好きなことを妥協せず、

信念を持って続けていれば

こんなにも素敵な仲間が集まって、

みんなで作り出す伝説の景色が見れるんだね!

 

ありがとうKing Gnu👑

 

 

 

 

自信家でいる理由

私はとっても悲しいことの1つに

大切な人が自分自身を卑下していること

がある。

 

家族であっても、友人であっても、

恋心を抱いた人であっても、

私が大切にしたいとと思う人には

自分自身を誇っていてほしいと願っている。

 

過ちを犯したから非を認めることと

ただ自分自身を卑下することは全くの別物で、

謙遜もしすぎると周りへの暴力になる。

 

「こんな私でごめんね」

って言われたら、きっと私は

「そんなあなたを好きなんだよ」

と真っ先に思うだろう。

フォローのためではなくて、

あなたが弱みだと思うところも、

私からすれば魅力で、好きな理由だから。

 

相手に申し訳ないなという気持ちを持たれてしまうほど、

自分を責めたくなることはない。

 

どんなあなたも大切で、どんなあなたも

私にとって無くてはならないことの方が多い。

 

ブログを始める前に、

とても人生に悲観的になった時期があった。

自分の将来に自信が持てなくて、

先が見えない今に自暴自棄になっていた。

そんな時も、ずっと側で支えてくれた友人に

「fuluraは今、幸せ?」

と聞かれたことがあった。

当時の私は、

「ううん全然」

と答えた。

ポジティブな言葉に

敏感になっていた私にとって、

「幸せだよ」

ということは私自身にも、友人にも、

支えてくれている人にも嘘をつくことになると

考えたからだ。

だが、その答えを聞いた友人の表情は

見たことがないほどに暗いものだった。

そして、その表情は次第に歪み、

悲しみと怒りと、

信じられない…という思いが滲み出たものへと

変わっていった。

 

当時は、辛い状況の人に何を言うんだろう

とまで思ってしまうほどに

周りが見えなくなっていた。

友人からすれば、

愛情たっぷりの家庭で育ち、

たくさんの友人から慕われ、

文句ない人生を歩んできているのだから、

まだ大丈夫だろうと信じたかったのだと思う。

しかし、そんな私に

幸せではないと言い切られてしまった

友人の気持ちはどんなに寂しかっただろう。

 

辛い時に辛いと言うことは

壊れないために、壊さないために、

自分にとっても周りにとっても必要なことだ。

 

同時に、大切に思ってくれていればいるほど、

与えるショックも大きいということを

肝に銘じる必要もあると感じた。

 

時に弱音を吐きながらでも

自分を誇る気持ちは片時も離さず

自分と周りのために

自信家であろうと決めた。