fulura’s blog

毎日のたわいもない記録。現在、大学生。

言葉はアクセサリー

国籍も性別も服装も髪型も超越して、

使う言葉がその人を彩る。

学歴も職業も地位も欠点も超越して、

使う言葉で人はどんな風にも魅せることができる。

 

言葉はブランドも経済力も必要ない

アクセサリーだ。

共通するとすれば、重みがある。

 

自分を美しく見せたいなら品のある言葉を。

優しく見せたいなら丸い言葉を。

 

それを意識するだけで、人は理想に近づける。

なぜなら、人は外側からの苦しみや痛みよりも

1番に、自分の中の矛盾に弱い生き物だからだ。

「優しい人でありたいのに、

誰かの心に寄り添える言葉が見つからない。」

そう感じたのなら、他人からの優しいなぁ

と感じる言葉に敏感になるだろうし、

使う言葉に似合う人格を持とうとするだろう。

それは、身につけるアクセサリーで

自分を表現するのと同じで、

このアクセサリーに似合う人になろう

と決意する、その過程と同じである。

 

そんな風に、

自分が紡ぐ言葉は、

形はないけれど、重みを持って、

着実に

自分を飾り付けていく。

 

死ぬ間際、クリスマスツリーのように

華やかに、そして、しとやかに

ぶれない芯を持って、

小さくても誇れる物を1つ掲げ、

家族や友人からの

心温まる個性豊かな優しさを纏い、

乗り越えた冷たい日々もを飾りに変え、

全力で生きた証を

ネオンに託し、逝けたら

私の人生のジュエリーボックスは完成だ。