fulura’s blog

毎日のたわいもない記録。現在、大学生。

世界は狭いがフィンランドは広い

私がフィンランドに行って感じたことをもとに

こんな仮説を立ててみた。

「人口密度が低い国ほど幸福度は高いのではないか」

という仮説だ。

 

どういうことかと言うと、

フィンランドの面積は日本とほぼ同じ。

しかしフィンランドの人口は約555万人と

日本の約20分の1。

よって人口密度も日本の20分の1。

つまり、1人あたりの面積が

日本の20倍あるのがフィンランドだ。

人口密度が低い国ほど、

流れる時間がゆったりと感じられて

幸福度も上がるのではないかと

あくまで私の私見だけで述べているまでだが、

シェアしてみる。

 

フィンランドの街に出るとわかるが、

道が広い。

歩道も横に4.5人が並んで歩けるスペースが

取られており、

避けなければならないというストレスを

感じる場面が無かった。

一方で、建物の間隔やレストラン内の席の間隔は

日本とあまり変わらないように感じたが、

どの店も待たずに入れた。

東京では当たり前の長蛇の列は

フィンランドで見なかった。

繁盛していないと言う意味ではなく、

ちょうど満席一歩手前ぐらいの組数で

店が埋まっていることがほとんどだった。

 

パーソナルスペースをしっかり確保することを

尊重するような空気感がどこの場所にも

流れていたように思う。

 

日本に帰ってきて、

(日本といっても田舎なのだが)

まずは電信柱・電線が目につく。

フィンランドでは路面バス用のワイヤーのみ

外に出ていて、あとは地下に電線を

埋めているため静観した風景が広がっている。

その分、目から入る情報がクリアになり

自然や建物に感性を委ねることが

できたのだろうと感じる。

街自体がレンガを基調とした北欧デザインで

溢れているためどこを見ても絵になる

というアート的背景も関係しているのかもしれない。

 

最後に「世界は狭い」について

語弊がないように

ただ偽りもないように

率直な感想を残したい。

今まで世間は狭いねと言う言葉が

どうしても好きになれなかった。

どこに行っても

誰かが知っている誰かと繋がっていて

新しいスタートを切る足枷になるように

感じてしまう部分があったからだ。

これは私は私のことを誰も知らない環境で

新しいことをスタートしてみたいという野望が

あったからだと思う。

世間は狭いねじゃなくて、

みんな繋がってるんだねって

言って欲しいと思うエゴがある。

けれど今回、フィンランドに行ってみて、

「世界」は狭いなと思った。

今まで海外に行ったこともなければ

飛行機に乗ったこともない、

日本の北海道・沖縄にも行ったことがない

私にとって

世界というのは未知で、広くて、

わからないからこそ無責任に

希望を描ける場所だった。

しかし、実際は13時間も飛行機に乗れば

辿り着ける実在する国だし、

同じ人間が住む場所だった。

もちろん文化も違えば言語も違う

たくさんの刺激を受けた

ユートピアのような場であったことに

異論はない。

ただ、同じ平面上にある地でもあるのだ。

必ず繋がっている。

必ず私の言動は小さいながらも波紋を呼び、

その波紋を受けた人が新たな波紋を作り、

地球の反対側にも微々たるものながら届く。

そのサイクルを以前より現実的に

考えられるようになった。

そして「世界は狭い」ましてや「世間は狭い」

を肯定的に受け取れるようにもなった。

今までの否定的な見方から

気持ち的に手が届く範囲だからこそ、

距離としては離れていても

必ず自分の言動は世界を

良い方向にも望まない方向にも

変えられる力があることを認識した。

 

だから今、伝えたいことがある。

日本の一学生が

小さなコミュニティでおおそれたことを

と笑われてしまうかもしれないが、

必ず伝わるし、必ずいつかの誰かの心を支える。

そう信じて伝える。

 

戦争よ無くなれ。

戦争は時代を超える悲しみと、歴史の停滞しか

生まない。

世の中をLOVEで回す。