fulura’s blog

毎日のたわいもない記録。現在、大学生。

自信家でいる理由

私はとっても悲しいことの1つに

大切な人が自分自身を卑下していること

がある。

 

家族であっても、友人であっても、

恋心を抱いた人であっても、

私が大切にしたいとと思う人には

自分自身を誇っていてほしいと願っている。

 

過ちを犯したから非を認めることと

ただ自分自身を卑下することは全くの別物で、

謙遜もしすぎると周りへの暴力になる。

 

「こんな私でごめんね」

って言われたら、きっと私は

「そんなあなたを好きなんだよ」

と真っ先に思うだろう。

フォローのためではなくて、

あなたが弱みだと思うところも、

私からすれば魅力で、好きな理由だから。

 

相手に申し訳ないなという気持ちを持たれてしまうほど、

自分を責めたくなることはない。

 

どんなあなたも大切で、どんなあなたも

私にとって無くてはならないことの方が多い。

 

ブログを始める前に、

とても人生に悲観的になった時期があった。

自分の将来に自信が持てなくて、

先が見えない今に自暴自棄になっていた。

そんな時も、ずっと側で支えてくれた友人に

「fuluraは今、幸せ?」

と聞かれたことがあった。

当時の私は、

「ううん全然」

と答えた。

ポジティブな言葉に

敏感になっていた私にとって、

「幸せだよ」

ということは私自身にも、友人にも、

支えてくれている人にも嘘をつくことになると

考えたからだ。

だが、その答えを聞いた友人の表情は

見たことがないほどに暗いものだった。

そして、その表情は次第に歪み、

悲しみと怒りと、

信じられない…という思いが滲み出たものへと

変わっていった。

 

当時は、辛い状況の人に何を言うんだろう

とまで思ってしまうほどに

周りが見えなくなっていた。

友人からすれば、

愛情たっぷりの家庭で育ち、

たくさんの友人から慕われ、

文句ない人生を歩んできているのだから、

まだ大丈夫だろうと信じたかったのだと思う。

しかし、そんな私に

幸せではないと言い切られてしまった

友人の気持ちはどんなに寂しかっただろう。

 

辛い時に辛いと言うことは

壊れないために、壊さないために、

自分にとっても周りにとっても必要なことだ。

 

同時に、大切に思ってくれていればいるほど、

与えるショックも大きいということを

肝に銘じる必要もあると感じた。

 

時に弱音を吐きながらでも

自分を誇る気持ちは片時も離さず

自分と周りのために

自信家であろうと決めた。